ゲリラ豪雨から思いを馳せる

こんにちは。

合同会社ゆたか スタッフの日浦です。

前回のコラムではとても自由な文章を書き連ねてしまったので、今回はある程度キチンとした事を書かねばと思ってまた筆を執っています。

季節は夏の終わり、まだまだ残暑が厳しい時節、みなさんは如何お過ごしでしょうか。

と、ひとまず堅めの時候の挨拶を入れてはみたものの、このままのトーンで継続するのは難しい気もしています。そもそも読んでいて面白いのか、という問題もあります。

時候の挨拶と言えば、夏の季語として「雨」を連想するのは私だけではないでしょう。

枕草子でも、

「夏は夜。月のころはさらなり。闇もなほ、蛍の多く飛び違いたる、また、ただひとつふたつなど、ほのかにうち光りていくもをかし。雨など降るもをかし。」

とあるように、古くから日本人は雨に情緒を感じてきたようです。

雨の表現だけでも「驟雨」「秋雨」「慈雨」などなど色々ありますが、夏、雨、と言うと最初に思いつくのは「夕立」ですね。

確かに、

夏の日差しがゆっくりと西に傾き、夕焼けの橙色が空に滲んで広がっていくころに、もくもくと空に立ち上がってくる大きな積乱雲、

ぽつぽつと雫を感じたかと思えば、さざ波が砂浜を打つかのような音と共に降り始める雨、

と書いてみるだけでも、とても叙情的な雰囲気になります。

ちなみに上記の文章をそのまま画像生成AIに打ち込んでみたところ、こんな画像を作ってくれました。

(出典:Adobe FIrefly)

まさに夕立の景色ではありますが、肝心の雨が表現されていません。

どうやら「雨」を認識させるまでの情報量が多すぎたようで、AIに対しても、まず最初に言いたい事・結論から話す、というのは大事なビジネススキルのようです。

さて今年の夏はと言えば、関東は毎日のようにゲリラ豪雨に襲われておりました。

滝のような勢いで落ちてくるあの雨と雷を見ると、さすがに「夕立」と括って叙情的になるには無理があるように思えてしまいます。

むしろ「ゲリラ」という言葉から連想されるような、いかにこの時間を生き抜くか、という殺伐とした雰囲気すら感じます。

そもそもゲリラ豪雨というのは正式な気象用語では無いそうで、あくまで慣用表現なのだそうです。気象用語としては「豪雨」となりますが、単純な「豪雨」が夏の季語として相応しいかといわれるとそれも疑問です。

ゲリラ豪雨を表す表現として一番近いものだと、「神立(かんだち、かみだち)」あたりがあるでしょうか。

雷鳴がなっているさまを表現する言葉ですが、稲光と轟音を伴う雷というのは、やはり神様の御業、という意識があったのでしょう。

稲妻(いなづま)=稲の伴侶、とも言われ豊作をもたらすとされる一方で、雷神は鬼の顔をした恐ろしい神様ですし、雷(神鳴り)は神様の怒りとする考え方もあるようです。

(出典:イラストAC https://www.ac-illust.com/)

ただそう考えると、我々は毎日のように非常な勢いで神様に怒られているということになり、平安の頃の人から見れば「未来人はいったい何をした」ということになってしまいます。

ご先祖様方から不安視されるような未来にしない為にも、サスティナブルやエシカルといった言葉にもアンテナを張っていきたいものです。

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